投資 自分の株式投資の経緯をざっくり書く

株式投資を始めてからここまでの経緯を自己紹介がてらざっくり書いてみる。

自分はもともとインターネット関係の隙間産業的な仕事を個人でやっていた。2000年前半頃までの話だ。このネットの黎明期は飽和状態の現在と違っていろんな稼ぐチャンスが転がっていた暁光といっていいタイミングであり、それに乗って億近い資産を築き、時間が出来たこともありこれを種銭に興味を持っていた株式投資を始めた。開設した証券口座は現在のSBI証券の前身であるイー・トレード証券。なんの知識もなかった。2005年のことだった。

しかし、ほどなく2006年のライブドアショック(マネックスショック)発端の新興市場崩壊が起き、この男は見事に資産の8割も溶かしてしまった。そこから2007年にひと勝負して過半をなんとか取り戻すが、米国発のサブプライム問題で相場環境が悪化し、2008年のリーマンショック時に嫌気が差して辞めた。それから数年は紆余曲折ありつつも基本的には休眠状態で、残った蓄えとネット系の収入で毎日ちんちんを弄り倒す怠惰な日々を送った。

市場におもくそぶん殴られた心傷が癒えず、次第に証券口座を見なくなった。切るに切れない小型の売買代金極小銘柄など一部はまだ仕方なく保有していたが、株のことは考えたくなかった。

当時の民主党政権が円高デフレを放置し経済が疲弊していったが、溜め込んだ現金をちまちま切り崩して生きている俺のような人間にはありがたくもあった。

2011年、東日本大震災発生。株をやめておいて良かったと心底思った。もしまだしぶとく市場に居座り続けて信用全力ポジションにでもしていたら全財産を失うどころか莫大な借金を背負っていたかもしれず、その後はどうなっていたか分からない。生きていても怨嗟の塊になり、今頃自作銃でも作る世界線になっていたのかもしれない。

震災後も政権の無策は続き、2012年の夏頃に当時の野田首相が解散を仄めかしだしたあたりから、相変わらずちんちんは弄りながらも人生の勝負所が近づいていることを肌感として感じはじめていた。世界市場と比べて劣後しているこの日本市場の状態は、見方を変えれば発射台が低いことによる急激な変化の余地、それを丸ごと取れる投資の可能性でもあった。

そして2012年末、安倍政権によるアベノミクス始動のタイミングで服を着て株式投資を再開。かつての失敗の経験も生き、2013年中に資産の復活を果たした。以降は2018年の株安、2020年のコロナ禍など、いずれも痛手を食らいながらも相場に生き残れている。振り返ってみると、投資を始めて早いうちに市場の洗礼を浴びたことは良かったと言える。

ざっとこういう経緯なので、いわゆる煽り屋や商材屋でもなければ、一般的な個人投資家みたいに、バイトや仕事でコツコツ貯めた数十万円から増やしたというわけでもない。元金からの増加率で言うと10数倍、最も減らした時期からでも70数倍程度で大した事は無い。知識を仕入れるのは好きなので投資の歴史本など雑多に読むが、いや正確には投資本を読んで博識ぶってる自分が好きなだけで知識は右から左に抜けていっているが、正直に言うとKindle本をぽちぽちジャケ買いした時点で満足して読まずに放置しているが、理系的な頭脳は持ち合わせていないし特別な資格や技術があるわけでもない。たまたま時代の流れを読めただけだった。

昔から集団行動が嫌いで、これは苦手という意味に加えて、そうは言いながらも結局順応してしまう自己嫌悪を含むが、それを要求される賃金労働者にはなりたくなかった。いかに安定していようが奴隷的な生活に真の自由は無い。また希望のない場所に身を置かず、そこに違和感を感じたら積極的に逃げるべきだ。結果、インターネット商売と株式投資の二発を当てた事で、このある種歪な生き方を選んだことは間違っていなかった、また一定の再現性を証明したと思っている。後半勝手に盛り上がって偉そうなことを書いた。

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昔こんなCDを買っていたらしい。現物は紛失。いまの投資初心者が最初に当たるSNSの煽り屋に比べたら良心的な「授業料」か。2007年にホットな夏相場は来ましたか?